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2021/0311Thu久保史緒里2021.3.11






東日本大震災から
今日で、10年が経ちました。



この10年という歳月の中に、
数えきれない方々の想いがあり、
変わりゆくものも、
変わらないものもありました。







今でも鮮明に当時のことを覚えています。
目の前に広がる光景も、
ニュースで見た光景も、
音も、天気も、空も。

その記憶を残しながら、
今、東京の地で、
自分に何ができるのだろうと考える日々でした。








当時、私は小学3年生でした。
帰りの会の直後、
数人は既に帰宅途中でのことでした。



私は教室にいました。
雪の降る中、校庭に避難し、
親が来るのを待ち続けました。
普段、混むことのない道は、
非常に混雑していて、
10分の道のりも、
この日は1時間以上かかったそうです。
クラスの最後の3人にまでなり、
不安でいっぱいでした。



当時、しちりんで
雪を溶かして生活用水としたり、
お水が手に入らず、
炭酸水だけが残っていたので、
炭酸水で歯磨きをしたりしました。
父親と顔を合わせたのは1週間後のことです。



特に覚えているのは、音です。
当時、校内放送で聞こえてきた、
避難訓練とは全く異なる先生の声。
隣のクラスでは、
本棚が倒れていました。
今でも、
当時と同じように携帯電話が鳴り響くと、
怖くて怖くて、
どうしたら良いのかわからなくなります。

久しぶりに行った学校の校庭は、
地割れをしていて、
校庭で何かできる状況ではありませんでした。
その年、卒業生だった姉は、
母校での卒業式は叶いませんでした。



当時、
小学生だった私の目に飛び込んできた光景は
今でも全て、はっきりと覚えています。
その記憶を胸に、
今、ここに生きさせていただいている私に
何ができるのかを、
ずっとずっと考えていました。





自分には、
あの日のことを話すことなど許されない。
良いはずがない。そう思っていました。
しかし、風化させないこと。
その責任が、私にもあるのだと感じました。

あの頃、守ってもらっていた私が、
今年、成人を迎えます。

これからは、誰かを守れるように。
今、ここに生きていることは、
決して当たり前ではないということ。
その有り難みを、改めて噛み締め、
自分にできること、
与えられた使命を胸に、
前へ、進んで行こうと思います。








大好きな東北の地を離れ、
自分がこの場所で、
このお仕事をさせていただいている意味。
どこにいても、
東北のことは常に頭にあります。 
大切なたったひとつの地元。
大好きな大好きな東北の力に
少しでもなりたいと心から思っています。
その為に、今を懸命に生き、
この場所で、
活動を続けて行きたいと思います。
いつの日かこの想いが、
大切な地元まで届きますように。






このブログが、
未来へ繋がることを信じています。








東日本大震災により、
犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された方々に
心よりお見舞い申し上げます。





乃木坂46 久保史緒里





2021/03/11 13:00

コメント(1063)

ブログ更新ありがとう
当時は自分も小学生だったのですが、大変な災害だった事は記憶に残っています。
けど、久保ちゃんの活躍してる姿を見て東北は明るい未来に向かっていると思います!
これからも応援していきます
被災された方々にご冥福をお祈りします。
久保ちゃん、お体に気をつけてこれからもお仕事頑張ってください。応援していますsixthreefour
久保ちゃん、ブログ更新ありがとう。

10年前のこの日、自分はまだ小学1年生でした。
だから、あまりはっきりとは覚えていません。
だけど、こんにちのニュースなどを観ると、
本当に恐ろしかったことだと改めて実感しました。
高い津波の前に逃げる人々、心配して大声で「急げ!」と
叫ぶ人々、、津波後の避難所の掲示板にはられた連絡をひたすら探す人々の映像を見て、とても胸が痛くなりました。
小さかったから、知らないということは絶対にいけないことで、この出来事を継承していくことが大切だと実感しました。自分が仕事を持つようになったら、寄付など積極的にやってこうと思いました。

久保ちゃんもこの出来事で、精神面でも辛いこともあったと思うけど、乃木坂に入って、今はグループを引っ張る存在になって、本当に尊敬します。自分は久保ちゃんみたいな人になりたいです。

東日本大震災で犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りします。
東日本大地震は忘れてはいけないし、語り継がなきゃいけないこと。久保ちゃんの思いは日本中、世界中に届くはずです!



ご冥福をお祈りします
今日1日で思ったこと。
私は東北に縁も何もないけれど、いつかしーちゃんのように東北のみなさんの為に何かが出来るようになりたいです。

いぬお
毎年この日にブログ更新して発信してくれてありがとう!
自分も宮城県出身です。これからもずっと応援してます。
頑張ってください!!
久保ちゃんブログ更新ありがとうございます。

僕が被災したのは東京でしたが、あの日のことは鮮明に覚えています。
今まで感じたことのない揺れに恐怖を覚えたこと。
ライフラインが途絶えて渋谷の街が
食べ物や寝る場所を求めてさまよう人々であふれていたこと。
職場で眠れぬ夜を過ごしたこと。
そして次の日ようやく家に着いてテレビをつけると、
東北で起こった信じられない光景が映し出されていたこと。

東北で被災された方々のために自分に出来ることは
何もなくて本当に申し訳ない想いですが、
せめてあの日のことは絶対に忘れないようにしようと、
久保ちゃんがこうして発信することで改めて思うことが出来ました。
今日で震災から10年ですね。当時は正直地震の怖さも知らない小学生でした。被災地から何百キロも離れた群馬でも揺れは大きく、怪我された方もおり、地割れや、落下物など様々な経験したことがないことが沢山起こりました。テレビを観て宮城、福島の被害状況を観て、揺れの大きさが尋常ではないだけではなく、津波によって沢山の建物が崩壊し、何万人もの方が被害に遭われ、衝撃的では言い表せない程の出来事でした。
当時小学生ながら間近で震災を経験された久保ちゃんの言葉は重みがあって、きっと、今でも復興の為にと思っている方が沢山いてその方の力や励みになっていることと思います。これからも頑張ってください!
10
祈禱
ブログ更新、ありがとうございます。

河北新報社さんの記事、読ませていただきました。

そして今日のブログ、当時の事、また思いを伝えてくださりありがとうございます。
久保ちゃんは宮城出身者として本当に誇りです
これからも風化させない為に皆で伝えていくことが大切ですね
あの日、変わり果てた街の姿は今も忘れられません
仙台に帰った時にTVで流れてる東北電力のCMを聞くとあの時の記憶が甦り涙がでてしまいます
久保ちゃんがブログ等で東北の事を発信してくれているのは本当感謝しています
これからも応援してます!皆で一緒に東北に元気を送りましょう!


久保史緒里様

何かを発信するというのは、責任も伴うし、大変なこと。しかし、とても意義のある発信だと思います。

お会いしたことはなくとも、とても繊細な方だと分かります。決して自分だけで抱え込まず、無理をしないでください。

周りの人達も巻き込んでいいと思います。
みんな、聞いて!という発信、これからもしてください。
ブログ更新ありがとう 。
こうやって大切な日に史緒里ちゃんの素敵な言葉で想いを書いてくれることが嬉しいです。
東日本大震災の被害に遭われた方にご冥福をお祈りします。少しでも復興が早く進みますように。
ありがとう
久保ちゃんの思いを教えてくれてありがとう
話し続けることが大事だと思います
辛かったでしょう。思いを伝えてくれてありがとうございます。抱え込まないでくださいね。みんなで記憶を分かち合い、これからも語り継いで行きましょう。
ブログ更新ありがとうございます。

まずは、思い出すと辛くなるかもしれない
フラッシュバックするかもしれない
その内容をつたえていくために、
言葉にしてくれてありがとう。

インタビュー拝見させていただき
今回のブログに加え、モバメも拝見させて頂きました。
僕が想像出来ないほどの恐怖と不安の
その一部分を感じることが出来たこと。
知ることが出来たこと。
10年経った今だからこそ、分かること、感じること。
史緒里さんの言葉を通して伝えてくれてありがとう。
きっと、被災者の方々、東北の、東日本の方々の
エールになっていると思います。

伝えてくれてありがとう。
その選択をしてくれた史緒里さんに
最大の感謝と共に、僕も黙祷を捧げます。

ふー君
しおりん様が無事で本当に感謝していますconfident
対談の記事を拝見しました。3.11…
あの日は私たち夫婦の10回目の結婚記念日でした。
当時 私たちは関西の沿岸部に住んでいて 遠い地での震災なので 関係無いように思われるかもしれませんが、ニュースで観た衝撃的な光景。人生で初めての避難勧告が出た事。当日 主人は夜勤だったので 主人の職場の駐車場で3人の子供達と共に車中泊をして過ごしました。長男は久保さんと同じ小3でした。
主人の夜勤が終わり 翌日 自宅に戻りましたが、線路沿いの家に住んでおり、ずーっと鳴りやまない踏み切りの警告音。不安で不安で仕方がありませんでした。そして 私は精神を病んでしまいました。新居に引っ越して2ヶ月目の事でした。新築を建てた後だったので、この土地に住むのが怖い!と主人にも打ち明ける事が出来ずいましたが、半年後には とうとうメンタルクリニックにかかる状態になってしまいました。1年後には子供達を連れて逃げるように他県の内陸部にある地元に帰りました。あれから9年になりますが いまだに 海が怖いです。毎年 この日の報道を観たり 聞いたりするのが怖いです。今日も 頭がクラクラ…不安定ですが、主人は 当時の記憶は無いのか?という位 配慮が無く ずっと報道をつけています。私は久保さんとは違う苦しみですが 思わず 投稿してしまいました。あまり御自分を追い込まないで下さいね!
東日本大震災の被災地東北3県以外に
俺の居住地茨城県も地震と津波による被害を
受けて死傷者数百名の出した記憶があるよ!!
俺は沿岸部ではなく内陸部に住んでるから
地震による被害しかなかったけど、自宅内にある置物が落下して自分のパソコンが壊れたり、内壁
にヒビが入ったりしたかな。その他に停電と断水もして自宅近くの小学校に水をもらいに行った記憶もあるcoldsweats02

宮城県と比較したら茨城県は被害は小さかったけど東日本大震災被災地仲間にはなるねhappy01
しーちゃん及びお父様とお姉様が御無事で
何よりだねgood
そのおかげでしーちゃんは現在乃木坂のメンバーとして活躍してるからかなり幸運なことだねhappy01






10年の節目、風化させないことが大事だね!

関東に住んでいる我々も、決して他人事じゃない

間違いなくやってくるその日に備え、心新たにしたいと思うぜ!
僕も久保ちゃんと同い年です。東日本大震災の事は忘れないですし、忘れてはいけないと思います。久保ちゃんの発信によって、10年という月日が経ってもあの日のことを思い出し、忘れてはいけないと思う人がたくさんいると思います!
久保ちゃん毎年のブログ更新ありがとう!
初めてここまで話してくれましたね。
横川記者との出会いとても大きかったんだなと感じています。
一歩前へ進めたように感じて嬉しく思います。

今日職場で黙祷がありました。
目を閉じるとやっぱりあの時の映像がフラッシュバックします。
それほど衝撃的な出来事でした。
でも、どれほど大きなことでも時間が経つにつれて風化していきます。
その風化を防ぐために様々な人が尽力して伝えていってくれている。
本当に凄いことだと思います。

もちろん久保ちゃんもその1人。
久保ちゃんが毎年3月11日にブログを更新してくれること、大好きな地元のことをとても嬉しそうに紹介してくれること。
久保ちゃんのおかげでこの震災を忘れずにいれる人、久保ちゃんのおかげで震災にも負けずに頑張ろうと思えた人はいっぱいいるよ!
東北だけじゃなく全国に久保ちゃんの想いは届いてると思うし、その想いが届くよう僕たちも微力ながらお手伝い出来ればと思います!

このブログが未来に繋がること祈ってます。

寺田蘭世さんも佐藤璃果さんも力強い言葉で今日のことをブログで語ってくれていました。
1人で背負いすぎず、少しずつ出来ることをお願いします。
見せましょう!東北の底力を!
見せましょう!乃木坂46の底力を!
見せましょう!久保史緒里の底力を!
やね(^ ^)
僕は東北出身の学生です。
今年から仙台へ進学をします。
久保ちゃんが地元を愛している。あの10年前の光景は僕も忘れられません。ずっと心の中に残っています。
忘れてはならないそうは思うけど、未だに緊急地震速報を聞くと胸が苦しくなります。
久保ちゃんもそうですか…?

誰かを自分で守ることが出来たら苦労はしないんだろうと心から思ってはいますが、なかなかできないのが人間というものです。だから助け合いが大事なんだなと感じます。

久保ちゃんが東京から僕たちの地元を思ってくれること嬉しく思うし、心配してくれて心の底からありがとうと言いたいです。

久保ちゃんの地元、どこでもそうですがちゃんと守れるように頑張ります。だから安心して見守っていてください。祈っていてください。

いつか久保ちゃんが帰ってくる時に安心していられるような故郷になっているといいなって思います。

新型コロナウィルスの影響で気にはなってもすぐには戻ってこられない状況が続いていくと思います。久保ちゃんは久保ちゃんの自身の安全をしっかりしてくれたら心の底から僕も安心していられます。

大好きはちゃんと届いています。
久保ちゃんの「ただいま」を待っています。

大丈夫です。

きっと。
久保ちゃんの思いは東北の人にきっと届いています!そして沢山の人が久保ちゃんに力や勇気を貰ってます!shine
久保ちゃんお疲れ様。
もう10年なのか、まだ10年なのか、この10年の間に東北にも
久保ちゃんにも色々なことがあったよね。
卒業式の翌日で、進路が分かれる友達と一緒に遊んでいた時に
被災しました。幸い命もあるし家族も友達も亡くすことなく
今生きていられるありがたみを年を追うごとに実感しています。

決して元通りとは言えないし、願っても戻らないものや事も沢山。。
地元のために出来ることが無い、あの日のことを語る資格が無いなんて
思わないで。
大好きな東北を想ってくれているだけで、どんな気持ちでいたのか当時のことを久保ちゃんの言葉で話してくれるだけで、少しでも東北のことを考えるきっかけになります。

大切な地元を離れて頑張っている久保ちゃんを僕たちは支えたい。
久保ちゃんが当時の辛い記憶を思い出して伝えてくれるから、
僕も地元のことを考えられる1日になります。

久保ちゃんのよく考えられて綴られる言葉が大好きです。
これからも一緒に頑張っていこうね。
久保ちゃんこんばんは。
東日本大震災から10年経ちました。でも、被災した方々にとって、あの日から一年一年、一日一日、日々の暮らしは営まれていて。
本当はこのコメントには少し迷いがありました。僕の被災した方々への言葉は、もしかしたら自分が思っているよりも上辺だけの薄っぺらいものなんじゃないか、そんな考えが頭をよぎります。
ですが、
震災の恐怖の記憶、悲しみの記憶、それを忘れないで、でもそれを乗り越える事が出来た時、時間はかかるかもしれないけれど、それが復興なのかもしれない、なんて思います。
あらためて震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り致しますと共に、被災地の復興、そして被災した方々の心の復興がおとずれる日を祈念しております。
震災大変だったね。

辛い思いした人たくさんいるよね。

忘れちゃいけない。

避難したまま帰れてない人今もいるみたい。

久保ちゃんの声はきっと届いてるよ。
僕は福島県に住んでいます。当時小学二年生でした。
あの日の恐怖は忘れるとはありませんでした。
家に帰ると家の中の物が散乱していて怖かったです。
あの日から10年で風化してはいけないと僕も思います。同じ東北出身として久保さんを陰ながら応援してます。これからもお身体に気をつけて頑張って下さい‼️
久保ちゃんがかくれんぼで泣く理由がわかった気がしました。
孤独と不安と驚きと全てが入ったかくれんぼは震災の要素もあるのかな?って思いました。
サンドウィッチマンや山ちゃんなど東北魂で復興をしているのも感銘を受けますが、久保ちゃんの言葉は体験談として突き刺さります。
久保ちゃんは震災を背負わなくて良いから貴方の笑顔と歌声で救われる人をたくさん救って下さい。私のように
久保ちゃん、ブログ更新ありがとう

2021.03.11もう10年経つのですね。
10年前は高松にいて、あの津波のニュース
映像にただただ驚くだけでした。津波の怖さ
を知らされました。

これからも久保ちゃんが乃木坂にいて
震災を忘れないように発信してくれる
ことで、全国のたくさんの人に伝わる
ので、お願いします!

久保ちゃん大好き。
いつも元気にニコニコ(^o^)
「にっしやん」でした。
こんばんは、お疲れ様です。
史緒里ちゃんに出会えて人生で本当によかったよ、
本当にいつもありがとう。
とも より
こんばんは。
震災によって被害を受けたわけではない自分が震災のことについて言葉を発するのはどうなのだろうかと思いながら10年も経っていました。
この葛藤が解消されることはないと思いますが、自分にできることをしていきたいと思います。
当時は千葉で今は宮城にいます。ちなみに出身は長崎です
人生ってなにがあるかわかりませんね
くぼしが更に活躍することでたくさんの人に伝えてほしいと思います
たまに東北の番組に出てくれるとうれしいです
 くぼちゃん、こんばんは!モリリンです。

 くぼちゃんの歌声やパフォーマンス、乃木坂での活動は震災で辛い思いをした方々の心にきっと響き、元気、勇気を与えてあげていると信じています。

 くぼちゃんが使命を全うできるよう、全力で応援します。それが少しでも東北の力になれば、うれしいな。fish
久保史緒里さん
あなたの存在は復興に間違いなく貢献しております。
引き続き東北を盛り立てて下さい。
自分も微力ながら頑張ります。
人として尊敬致しております。
このブログが掲載されて、改めて久保ちゃんが、3月11日に挙げてこられたブログを見返してみました。如何に、横川さんとの対談が、久保ちゃんの何かを大きく動かしたものだったと改めて感じました

自分も、久保ちゃんと同じように、震災について自分の経験を話してはいけない、話す立場では無いと思っていた時期がありました。

でも、メディアや学校の授業を通じて、被災者の方の声などを聞くことが出来、1番大切なことは、風化させないように伝えていくこと」なんだと感じてから、どんなに微力でも、偽善でも、経験を伝えていくことを、できる範囲でやっています。

今回、久保ちゃんが、自分の経験を、ブログに綴って発信するまでには、様々な葛藤があったと思います。それでも、この生々しい発信が、必ず1人でも多くの方に、届いているはずです。風化を防ぐ大きな防波堤になっているはずです。自分もその1人です。

久保ちゃんは、自分なんかより、多くの人に言葉を届けられる方です。そんな久保ちゃんを、とても小さな力でも支えていきたいです。

今回のブログは、必ず、必ず、未来に繋がります。未来に繋げられるように、自分も生きていきます。

今回は、この発信をしてくれて、本当にありがとうございました。

きっと、久保ちゃんは、地元の大きな光です。
想いをはせる事。
・・・とても大切な事に思います。
3.11絶対に忘れてはならない日

勇気ある行動ありがと。思い出しくないよね。


辛い思いを繋げていくことでこれからさき未来のためになる

素晴らしいこと。  ありがとう。


心よりご冥福をお祈りいたします
久保ちゃん

ブログ更新ありがとう。


このブログを読みながら、泣きました。

気づいたら、涙がこぼれていました。


あの日の記憶はしっかりと残っていても
自分は、東北で震災を経験したわけではありません。

テレビで見た光景もしっかりと覚えているし、祖父母が仙台にいるので、すごく心配したことも覚えています。

でも、東北の方々が体験したことを感じることは中々できることではありません。


それでもこのブログを読んで、当時の久保ちゃんの話を聞いて、涙があふれていました。

少なくともあなたの言葉は自分に届いています。

未来にも繋がっていくと思います。

ありがとう。


自分も、嫌なことを思い出すから、震災の話なんてしてはいけないと思っていました。

でも、久保ちゃんのブログを読んで、改めて、伝えることがその時を生きた人間の義務であり、使命だと思いました。

ありがとう。



これからも、地元の方々の希望の光であってください。

久保ちゃんのことを応援しています!

ありがとう。






頑張ろう!東北!!
絶対に風化させちゃいけないよね!
久保ちゃん改めてブログ更新、本当にありがとうございます。

『3月11日』

日本人にとって絶対に忘れてはいけない日。
語り継いでいかないといけない日。
同じ悲しみを繰り返さぬよう振り返る日。

人それぞれ思うことは違うと思います。

しかし全員に共通して言えること。
それは、自分なりに東日本大地震を理解し、他の人や次の世代に伝えるきっかけを作る大切な日。
僕はそう思っています。

震災が起こった当時のこと。
鮮明に覚えています。
自分が思ったことや体験したことについて書きたいと思います。

2011年3月11日
愛知県の小学校に入学して、小学1年生の3学期、当時7歳でした。
14時46分
5時間目の授業が終わり、下校中の時でした。
遠くから鳴り響く地鳴り。
一斉に飛び立つ鳥たち。
今までに体験した事が無い光景に不安を覚えました。

大きく揺れる電線。
初めての出来事に何もできませんでした。

後からわかった事なのですが、愛知県は震度4だったそうです。
体も小さく、物心ついて初めての大きな地震だったせいか、今思う震度4よりずっと大きかった気がします。
小学校の先生方ともさっきさよならしたところで周りに大人の方がいなくてとても不安でした。

恐怖のあまり、急いで家に帰りました。
家にいたお母さんに「大丈夫だった!?」と慌てて言われ、何が起こったのか分からなかったため、家のテレビでニュースを見ました。
そこに映っていたのは衝撃的な中継。
幼いながらとても悲しみました。

それから月日が経って、被災地に自衛隊の方々やボランティアの方々が応援に駆け付けている様子をニュースで知り、僕にも何か出来る事は無いのかと考えました。

小学4年生
この学年から生徒会執行部に入る事ができました。
僕は東北の被災地のために募金活動を行う事を決意し、立候補しました。

小学4年生から6年生、中学1年生から3年生
生徒会執行部として毎年欠かさずに募金活動をおこってきました。

高校1年生から2年生(現在)
生徒会執行部に加え、日本赤十字社のボランティアにも参加して募金活動を行なっています。

僕に出来ることはものすごく限られています。
しかし瓦礫の撤去作業に必要な軍手やブルーシートなど少しでも力になれればと思い活動してきました。

以上のことが10年間、自分が体験してきたことです。
これからは次の世代の方々に知ってもらえるように語り継いでいきたいと思います。

東日本大地震を絶対に風化させてはいけない。
あの日を教訓に二度と同じような悲しみを繰り返さぬよう1人でも多くの人に伝えていくべきだと僕は思います。

久保ちゃんの活躍は東北の方々、被災地の方々をはじめ、多くの人に届いています。
僕自身久保ちゃんのおかげで、より東北のこと、宮城県のことをもっと知りたくなりました。
新型コロナウイルスが収まったら、宮城県に足を運んでみたいと思います。

10年という節目がものすごく早かったと感じています。それは昨日のことのようにあの時の衝撃、恐怖、悲しみ、さまざまな感情を鮮明に覚えているからだと思います。

語り継いで行くこと。
それは1人でも多くの未来の人の命を救うこと。

最後になりましたが、東日本大地震で犠牲になってしまった方々にご冥福をお祈りしますとともに、今もなお避難所生活を余儀なくされておられる方々に心よりお見舞い申し上げます。

愛知県 ぽんきち
自分も高校生になってから初めて東北に部活で応援演奏に行き沢山のお話を聞きました自分も東北にこれからも何かできることを一生懸命していきたいです。
自分も10年前の今日の事すごく鮮明に覚えてます
体育の授業後だったから、みんなは教室で着替えてるけど中にはまだ校庭に残ってる子とかがいて、先生たちも焦ってた印象があります
当時自分がいたのは東京だったから東北よりは弱い地震だったけど、今まで経験した事ないほど揺れて、クラスにいた同級生たちの中にはパニックになってる人もいて、異常なことが起きているって小学生ながら思いました
全校生徒が校庭に集まって保護者の迎えを待ってる時にも大きな余震が起きて、その時は地面が大きく動いてるっていうのを肌で直接感じて、今思うとすごい事を経験してたんだなって
家に帰って机から落ちてる物を整理しつつテレビをつけると東京の海岸沿いで火事が起きてたり、津波警報が画面の端でずっとついていたり、原発の中継が映されてたり、すごい怖かったです
10年経った今でも多くの人が未だに心の傷が癒えてない、それほどの大きな災害は風化させないべきだし、させてはいけないと思います
そして震災を近くで経験した本人がこうブログで発信してくれるってすごい貴重な事だと思います
ありがとうございます

いつ災害が起きても対応できるように準備しておくことが本当に大切ですね
ブログと河北新報の記事も拝見しました。
久保さんの思いが凄く伝わって来ました。
自分は三重県に住んでいていつ地震が来てもおかしくないと言われています、不安で仕方ないです。
だからこういった発信はとても有難いです。

久保さんの言葉は必ず皆さんに勇気を与えていると思います!
久保ちゃん、こんばんは。

久保ちゃんは震災を一番近いところで経験された貴重な人ですね。

ブログありがとう。
最後まで読ませて頂いたよ。
久保ちゃんの思い伝わってるよ
 あの日から10年を迎え、先日も大きな余震に見舞われたばかり。何を出来るか考え実行し、災害の教訓を後世に伝え続け備えなければなりませんね。
しおりちゃん!
自分も東北民だからその気持ち分かります!
でも自分のところは津波も来なかったので
それに比べたら全然ですが、、、、
でも東北民としてはしおりちゃんが希望です!!
頑張ってください!!
大好きです!!!

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PROFILE

久保 史緒里

2001年7月14日生
血液型:O型
星座:かに座
身長:161cm
>>プロフィールへ

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