このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebookにシェア

2021/0311Thu久保史緒里2021.3.11






東日本大震災から
今日で、10年が経ちました。



この10年という歳月の中に、
数えきれない方々の想いがあり、
変わりゆくものも、
変わらないものもありました。







今でも鮮明に当時のことを覚えています。
目の前に広がる光景も、
ニュースで見た光景も、
音も、天気も、空も。

その記憶を残しながら、
今、東京の地で、
自分に何ができるのだろうと考える日々でした。








当時、私は小学3年生でした。
帰りの会の直後、
数人は既に帰宅途中でのことでした。



私は教室にいました。
雪の降る中、校庭に避難し、
親が来るのを待ち続けました。
普段、混むことのない道は、
非常に混雑していて、
10分の道のりも、
この日は1時間以上かかったそうです。
クラスの最後の3人にまでなり、
不安でいっぱいでした。



当時、しちりんで
雪を溶かして生活用水としたり、
お水が手に入らず、
炭酸水だけが残っていたので、
炭酸水で歯磨きをしたりしました。
父親と顔を合わせたのは1週間後のことです。



特に覚えているのは、音です。
当時、校内放送で聞こえてきた、
避難訓練とは全く異なる先生の声。
隣のクラスでは、
本棚が倒れていました。
今でも、
当時と同じように携帯電話が鳴り響くと、
怖くて怖くて、
どうしたら良いのかわからなくなります。

久しぶりに行った学校の校庭は、
地割れをしていて、
校庭で何かできる状況ではありませんでした。
その年、卒業生だった姉は、
母校での卒業式は叶いませんでした。



当時、
小学生だった私の目に飛び込んできた光景は
今でも全て、はっきりと覚えています。
その記憶を胸に、
今、ここに生きさせていただいている私に
何ができるのかを、
ずっとずっと考えていました。





自分には、
あの日のことを話すことなど許されない。
良いはずがない。そう思っていました。
しかし、風化させないこと。
その責任が、私にもあるのだと感じました。

あの頃、守ってもらっていた私が、
今年、成人を迎えます。

これからは、誰かを守れるように。
今、ここに生きていることは、
決して当たり前ではないということ。
その有り難みを、改めて噛み締め、
自分にできること、
与えられた使命を胸に、
前へ、進んで行こうと思います。








大好きな東北の地を離れ、
自分がこの場所で、
このお仕事をさせていただいている意味。
どこにいても、
東北のことは常に頭にあります。 
大切なたったひとつの地元。
大好きな大好きな東北の力に
少しでもなりたいと心から思っています。
その為に、今を懸命に生き、
この場所で、
活動を続けて行きたいと思います。
いつの日かこの想いが、
大切な地元まで届きますように。






このブログが、
未来へ繋がることを信じています。








東日本大震災により、
犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された方々に
心よりお見舞い申し上げます。





乃木坂46 久保史緒里





2021/03/11 13:00

コメント(1063)

久保ちゃんブログ更新有難う

東北出身のちゃんにとっては、今日は特別な日ですね。

あれから10年という年月が流れました。
辛うじて被災を免れた我々でも、あの時の衝撃は根強く心に根ざしてるのに、被災地となり、いまだ避難生活は続いてる人々のなんと多いことか。

震災はまだ「過去」ではなく「現実」なんですよね。

被災された方々の心中は、被災していない我々が安易には推し量れないけど、でも寄り添うことは出来ると思います。

僕の大好きな東北が元気になりますように。
僕の大好きな東北出身の久保ちゃんが笑顔でいられますように。
微力ながらも応援したいと思います。
PTSD・・・・関東に住んで居る、おっちゃんも被災者?( ・◇・)?皆の心に刻まれた記憶・・・語り継ぐ。後世に❗頼むぞ‼️若人達よ‼️
ブログ更新と、当時の体験を綴ってくれてありがとうございます。もう10年ですね。
どんな言葉にして書いたらいいのか難しいのだけど

自分になにができるのかわからないんだけど 今生かされていただいてる命は 大切な命だから
東日本大震災で犠牲になられた方々の分も 今生きてることのすべてに感謝して 一緒にがんばろう!
しおちゃんが東北の光になって下さい
これからも
あれから10年、被災した我々にとって9年経とうが10年経とうがその先だろうが想いは変わらない
風化させないためにもこれからの震災を経験していない世代に伝えていかないといけない
東北への想い綴ってくれてありがとう
宮城県民より
更新ありがとう。
10年。あっという間でしたね。
東北に住んでいたわけではないけれど、あの日の経験したことのない揺れと、テレビで見た惨状は今でも鮮明に記憶しています。

河北新報社さんの記事、読ませていただきました。
あの記事を読んで、被災地にいない人間でも、記憶を風化させないためにできることがあるのだと気付かされました。
あの日を経験した1人の人間として、被災された方々に比べれば私のできることは小さなことかもしれないけれど、伝えられることは伝えたい。そう強く思います。

久保ちゃんのお陰で、今まで知らなかった東北の魅力を知ることができました。コロナが落ち着いたら、真っ先に東北に行ってみたいと思っています。

久保ちゃんの思いが被災地の皆様に届きますように。


久保ちゃんの東北愛は私を含め東北の方に強く強く伝わっています。
もしまた大きな災害が来たときのためにも情報発信は大切です。未来の方たちを守ることができます。助けることができます。久保ちゃんのブログを見て、このコメント欄を読んでよかったです。東北を愛してくれてありがとう。これからも応援しています。
ブログの更新ありがとう
色々な媒体で報道を見ていると明日が来るのは当たり前ではないと改めて思いました。
風化させないようにしないとですね
ブログ更新ありがとう☺️
私は、福島出身で当時家にいました。
棚から物が落ちてきたり、テレビが倒れたりと小学生だった自分は、すごく
怖かったのを覚えています。
東北のために、できることはまだまだたくさんあると思うので、自分で何が
できるか分からないけど、少しでも力になれたらいいなと思います。
久保ちゃんの東北に対する力強い想いがたくさん伝わってきました。
これからも東北のために頑張っていきましょう!
お身体に気をつけてこれからも頑張って下さい!
応援してます
ブログ更新ありがとうございます。
震災が起きた時、私は4歳でした。
関東に住んでいるので、津波などの被害はありませんでしたが、とてと怖かったことを今でも覚えています。
これが、私の1番古い記憶かもしれません。
10年が過ぎ、私も中学生になりました。
学校などで震災の被害を知る機会が増え、当時の被災地の姿に、衝撃を受けました。
当時のしおりちゃんの、東北の方々のことを考えると本当に胸が痛いです。
2度とこんなことが起きてほしくない、と強く思いました。
久保ちゃん、ほんとにあの日は身を切られるより辛く怖い日だったよね。。でも今東北が元気と希望が少しづつ戻ってきてるのは、東北愛を忘れることがなかった最高にして最強のアイドルである久保ちゃん、
そして、日本に帰ってきた東北の希望の星である史上最強にして最高の投手、田中将大という存在があるからだよ。もちろん田中だけじゃない!乃木坂全体とイーグルス全体が東北を熱く!そして笑顔に必ずできるから!被災地の皆さんと強くこれからも戦い歩んで行って欲しい!生きてれば必ず楽しいことが沢山起こるから!これからも乃木坂のエースとして田中のように東北の希望となって頑張ってね!
ブログを読みながら目頭が熱くなりました。

今日を生きてること、今日だけじゃなく日々生きていること、普通に暮らしてることに感謝したいです。

微々たるものですが3.11検索して募金しました。



くぼちゃんお疲れ様です。

お久しぶりのコメントになってしまいました…

東日本大震災から10年。
僕は家にちょうど帰って来た時でした。
東北の地ほどの揺れではなかったですが、あれほど揺れたのは人生で初めての経験でした。
その直後テレビをつけて観ていたら、衝撃の映像が映し出されましたのを思い出します。
この日を忘れることは決してありません。
僕は26年前、阪神淡路大震災の日に生まれました。
失われた生命があるように、生まれてきた生命もある。
僕はこの震災を経験してません。でも自分が生まれた日に多くの命が失われたという事実があるので、僕は決して忘れない。忘れてはいけないと思ってます。
託された命なのかもしれないから。
東日本大震災の経験がない子達も、忘れないし、伝えるべきだと日だと思うはず。
夢や希望が生を生むのだと、守るべき命の尊さが、命の重さだと。

信念を貫くということは、この世で一番過酷で孤独なことだと思う。
でもね、届くためには誰かがやらなきゃならないんだ。
くぼちゃんには、その責任があるんじゃないかナ?
偉そうに言って申し訳ないです…
でもくぼちゃんだから伝えられることもたくさんあるし、くぼちゃんだからこそ届くこともあるのです。
思いは皆一緒のハズです。

"未来ってのは 希望だ
希望ってのは 生命だ
夢を見るうちは 必ず明日がある
俺達 大人の仕事は
子供の未来を守ることだぜ"
子供が道に迷ったとき、道標をたててあげるのが僕達大人の仕事です。
ただ無理せずネ。

モバメもいつもありがとうございます。

いつも応援してます!
久保ちゃんの思いはしっかりと伝わっていると思います!
自分も微力ながらYahoo検索で3.11と検索して寄付をしました。
久保ちゃんほどの力はないですがこれからも自分なりにできることを頑張ろうと思います!
毎年、ありがとう。
未来は明るい。自分はいつも信じてる
職務で近畿から多賀城へ。
ライフラインが前日復旧した時期に
行きました。

公民館で床に毛布、段ボールの敷居、
不規則な配給。夜泣きする子供。

しかし、毎日事前団体が来て、
色んな食べ物を振る舞っていました。

10年前なので記憶があせてますが、
海の方は想像を絶する状態。

配給の時、皆さん笑顔だった。
何か良き方に変わっていて欲しいな。
大切な誰かと今を生きよう
同い年誕生日1日違いです☺︎ブログ更新ありがとう。
震災から10年、早いですね。私も当時小3だったけど、あの時の記憶は今でも鮮明に覚えています。私も生きていることの有難みを改めて感じさせられました。久保ちゃんの地元の宮城や東北が一日でも元気になることを祈っています!
ブログ更新ありがとう
ご冥福をお祈りします
東日本大震災もう10年経つって早いね
私も同じ年で小3の時,甲信越地方に住んでたので
その時は授業中でした
震災のことは一生忘れないと思います
私はしおちゃんのこといつも応援していますhappy01happy02
ブログ読みました。久保ちゃんの思いみんなに届いていると思います。これからも発信してね。
しーちゃん 震災の時の記憶の公表ありがとう。辛かったね。当時の小学校低学年生の忘れられない体験として胸に刻まれたよcrying

今、乃木坂のメンバーとして、宮城でのライブ、菓匠三全さんとの「宮城・仙台 旅しおり」、イーグルスガールイメージキャラクター、ほか世界や全国的な活躍でも、しーちゃんは地元に凄く貢献してるよね(^^)d

しーちゃんのこれからのさらなる活躍が地元や東北や日本全体を笑顔にしてくれるから、頑張ってねshine

じゃあまたね(^-^)/
久保ちゃん
言葉を紡いでくれてありがとう

東北出身です
自分のところは被害こそ少なかったものの5強を観測し、大きな揺れ、停電、断水とかがありました。
見なければならない現実
襲ってくる恐怖
いろんなものと戦う人たちが居て、

忘れたいこと、忘れちゃいけないこと
それぞれが感じてると思う

どうか久保ちゃんも自分の体に気をつけて

たまにでいいから東北に思いを馳せてね

久保ちゃんのブログで心が軽くなったよ
ありがとう
更新ありがとう。
胸打たれました。
3月11日の事は忘れちゃいけない。。
私は関東なので、被害は東北に比べればはるかに少なかったけれども、
地震が来た時の様子は今でも忘れられません。
そして、津波が来た後の映像を見ると、今でも心が苦しくなります。
社会人だった私ですらこのような心境だったので、
小学生のしーちゃんが感じた気持ちは、私のそれとは比べ物にならないほど
辛く、鮮明に残っているものと思います。

しーちゃんが無事に生きていられることは、とても幸せなことだけども、
それに対して責任を感じる必要はないと思っています。
ただ、芸能人であり、東北の被災した一人として、
話を伝えていくことは良いことだと思います。

芸能界で活躍している人たちは、いわば希望の星で、
しーちゃんもその一人です。
それは、我々乃木坂のファンだけでなく、
東北で被災された皆さんの希望でもあると思っています。
これからも末永く活躍していくことが、話を後世に伝えていく上で
大事かなと思います。

今日、14:46に黙祷しました。
これからも、みんなが起きたことを忘れず、
防災に対する意識も持ち続け、少しでも過去の経験が活かせますように。
久保ちゃんブログ更新ありがとう。
久保ちゃんの言葉はいつも心に響きます。
こんばんは〜、しーちゃん❤︎お疲れ様〜、ブログ更新ありがとねっ。
あの日から10年。まだ10年、もう10年。当たり前の日常は、決して当たり前ではないよね。しーちゃんは、身体に気をつけて活躍してね❤︎
陰ながらになるけど、乃木坂46を、しーちゃんを、応援しています(๑˃̵ᴗ˂̵)
久保ちゃんブログ更新ありがとう!
2011年3月11日僕は当時小学1年生でした!
あの日のことは今でも忘れていません!
早く被災地が明るく笑顔で過ごせれる日常が戻ることを祈ってます!
きっと久保ちゃんがみんなに力を与えていると思います!
これからの久保ちゃんの活躍に期待してます!
頑張ってください!
応援してます!
しーちゃんブログ更新ありがとう。
しーちゃんが経験したことを伝えてくれてありがとう。震災から十年が経ったのですね。今日14:46に黙祷をしました。幼稚園の年長さんだった私も得体の知れない揺れに恐怖を感じたことを覚えています。その時見てた景色やいた場所もすべて覚えています。当時小学3年生だったしーちゃんが感じた恐怖は計り知れないものだったと思います。でも思い出すだけで苦しいはずなのに伝えてくれてありがとう。しーちゃんの東北への思いはしっかりと伝わっています。きっと東北の方にも伝わっているのではないかと思います。3.11を風化させないようにしっかりと胸に刻んで生きていきたいです。
東日本大震災により、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
史緒里ちゃんへ

10年ですね。

河北新報さんのインタビュー、読まさせて頂きました。

ちょうど史緒里ちゃんのお姉様と同じ学年にあたる僕も当時は小6でした。卒業前の金曜日。両手に大量の荷物を抱えて前もって持ち帰ろうとしていました。

あの日は下校中、東京駅の地下にいて帰宅難民になりました。本震の時に地下道にいたものですから、もうこのまま潰されると覚悟しました。
余震のたびごとに超高層ビルたちがしなるように波打っていました。

実際に翌日の午後になるまで自宅に戻ることはできず、夜通しでさまざまな苦労やドラマを経験しました。金曜日のことでしたから、周囲の会社員の皆さんも本当にお疲れの様子でした。ようやく動き出した土曜未明の超満員で空調の切れた地下鉄は、人の熱で灼熱になり、窓全開で人が歩くほどの速さで進んでいました。列車の照明が落ちて真っ暗になって急停車しては超満員の乗客全員の携帯電話から一斉に緊急地震速報の音がトンネル中に鳴り響くのを幾度となく繰り返しました。このままトンネルごと潰れるんじゃないかと何度も思ったものです。

ここ最近の窓を開けるようになった電車がトンネルに入ると、あの時の音がします。

その後には計画停電も何度も経験することになりました。当時は集合住宅に住んでいたので、停電はすなわち断水(集合住宅では水を汲み上げるポンプが停電で停止してしまうとそれはつまり断水にもなるんです。)を意味することも痛いほど経験しました。

ただやはり、所詮は首都圏にいただけでした。当初「東北関東大震災」と命名されたものの、すぐに「東日本大震災」という通称が生まれました。

「東日本大震災は東北の災害」という認識が世に広まりました。東北に親戚もおらず、東北在住の知人もほぼいなかった僕には「語る資格のない」出来事となりました。

あの夜を超えて以来、今でもよほどの近所へのお出かけでない限りは小さな懐中電灯と小さなビニール袋を持ち歩いています。

家には常にペットボトル何十本もの水やお茶があり、何食分もの非常食やらインスタント食品がしまってあります。

「怖がり」なのかもしれません。

でも真っ暗な地下鉄と、度を越した混雑の中で何度も立ち往生する電車の中で年度末の金曜まで酷使していた上の夜通しで、次々青冷めて倒れていく人たちの記憶が染みついています。

ーー

電車の終日運転見合わせが決まり、3月11日うちに自宅に帰ることができないことを宣告されたのが19時台でした。
どこへ行くこともできずにずっと立てこもっていた電車の行先表示板が「回送」に変わった瞬間を鮮明に覚えています。

たった1人で麻痺した都心に放り出された12歳の感性で見たことを大切にしておこうと思います。

謎に物持ちのいい僕は、まだ当時使っていたガラケーが今でも元気に動きます。
メールの送受信に何時間もかかるため、送信時間を書き添えて家族に送ったもの、届いたもの。連なる速報の受信履歴があの時のまま止まっています。

東北の災害であると同時に、東日本全体の災害でもあったこと。あの時に東北ではなく、東京を見ていたからこそできることや発信できることを探していくのが、当時の東北と縁がなくとも、いち東日本人としてのつとめかな、と今は考えています。

ーー

いつもありがとう。
「今日も」と言える今日に、ありがとうです。

#毎日史緒里ちゃんに感謝する 2021.03.11
夜の7時14分に。
ろめまる より
私たちは、運命のいたずらか、なんの縁か生き残り、悲しみにくれながらも、この10年間を強く生きてきました。そんな私たちは、あの時のこと、万が一の事態に備えること、様々な義務があるのかも知れません。私たちも微力ながらお力添えしたく思います。辛い思いをしながらも、このような発信をしてくださったことにたいへん感謝します。
本当にありがとうございます





237238
久保ちゃんいつもありがとう!
久保ちゃんの思いは絶対に届いていると思うよ!
久保ちゃん、こんばんは!
メッセージありがとうございます!
体験談、とても心に響きました。
きずなを大切に共に進んでいきましょう!
久保史緒里さん、
君の名は東北の、そして乃木坂46の希望です。
今日は、東日本大震災から10年が経ったけど、自分住んでいる北海道では、3年位前に胆振東部地震があって、その時は、家の電気が夜に停電になって、津波がくるのかが分からなくて、ネットのニュースを見た時は、津波の心配は、なかったけど北海道全域の停電で、大変な思いをしたことがあったので、東北の地震で大変な思いをしてたことの気持ちを理解出来たように。本当に震災は他人事ではないので、お互いに頑張って行こうね!
久保ちゃんはそのまま育ってください!
風化させない!それが1番大事だから

がんばろう東北!
初めてコメントします!
あれから10年も経つんですね…。
僕の住んでる神奈川の方でも恐怖を感じる程の揺れでした。
幸い自分と周りの人達は無事でした。
今を生きて、何気ない日常に感謝しなくてはですね…

亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
まだ行方不明者の方々がいらっしゃると聞いたので、一日も早く帰りを待ってらっしゃるご家族の元へ戻られますように。

東北の復興と皆さんの幸せを願ってます。

久保ちゃんは本当に責任感が強いですよね、尊敬します。
とても考えさせられ、共感できるブログでした。
当時5歳だった(現在中2)僕もかなり記憶に残り、心に刻まれる出来事でした。北海道新ひだか町にその時は住んでいて、幼稚園が終わり母親と外出していたときに揺れがきました。震度までは、はっきりと覚えていませんが、当時の小さい体にしてはかなり揺れていたような気がします。家に帰りテレビをつけてそこに広がった光景は本当に衝撃的で、今でも似たような光景をテレビなどで見ると心が痛みます。(自分語りしてしまいすみません)
本当にこの10年間はあっという間でした。
この震災で犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。
そして、東北の1日でも早い復興を祈っています。
最後に、久保さんに、大切な節目となる今日にブログを更新してくれてありがとうございます。想いはきっと未来に繋がっていると思います。このブログから沢山の人に震災を知ってもらうきっかけになったらいいなぁ。
成人おめでとうございます。
このブログ読んでたら何故か自然と涙が出てきた。
久保ちゃんの想いは少なくとも私には伝わりました。
今こうして笑顔の久保ちゃんが見れていることが本当にしあわせだ。
これからも精一杯応援するよ。
あなたの未来を私にも支えさせてください。
10年経った今でもついこの前起きたような気がします。
これからもこの震災を忘れることなく毎日感謝の気持ちを持って生きて行きたいです。
乃木坂46でのご活躍をこれからも応援してます。
しおりちゃんのブログ心に響きました。
あの日を忘れない。
一歩一歩前を向いて歩いて行こう。
決して無理をせずに、たまにはゆっくり休んでね。
継続は力なり。
こんばんは。m(_ _)m

今朝は晴れていて、気球が飛んでいました。
近所の大学のサークルか何かだと思います。
そちらの天気はどうでしたか?

東日本大震災から今年で10年ですね。
当時の自分はテレビで見てはいましたが、自分のことで精一杯で何もしませんでした。
『テレビで見た』と言ってもそれはタイムリーに見た映像か、それとも後で見た映像だったのか、まともに記憶にないほどです。
今まで自分が生きることしかしていなかった分だけ、誰かのために出来ることをしなければいけませんね。利息分にも足りないかもしれませんが、もう少し探してみようと改めて思うきっかけになりました。

久保さんの想いはきっと届いていると思いますし、久保さんが今の場所で頑張っていることを応援されていると思います。
第三者のうしが言うことではありませんがcoldsweats01
これからも久保さんの活躍を見せてあげてくださいね。

それでは、また何かあったらコメントさせていただきますね。m(_ _)m
私は福島県の者です。
当時、小学生で何が起こっているのか全く理解がでかなくて、先生たちの声が響いたことだけ覚えています。
その後の原発事故の影響で、放射能の測定器が設置されたり、農作物の風評被害など様々なことがありました。そして、今もその影響は続いています。
でも、悲しみばかりではなく、周りの人達が手を取り合って一歩ずつ歩んでいます。
是非、福島県にいらしてください。
震災から10年、僕は関東の人間ですが縁あって中学校から6年間青森で生活していました。前を向き新たな一歩を踏み出している姿に感動し、東北の人々の優しさに胸を打たれました。久保ちゃんのブログを読んで、東北の人々の気持ちに共感することができました。決して忘れてはいけない出来事、これからも多くの人に発信してほしいです。
久保ちゃん大好き!
感性のあまりにも豊かすぎて、苦しさもあったでしょう。
河北新報の対談記事を読みました。
綺麗な涙を流した貴女も拝見しました。
私も阪神大震災に遭いました。
心の奥に想いは仕舞い込んだ1人です。

貴女はまさに希望です。
貴女の仕草や語り口に、毎日癒されています。

いつまでも活躍をお祈りしてます。
未来に届けこの想い、この歴史
東北の未来に幸あれ
久保ちゃん、こんばんは。今日もお疲れ様。

2011年の3月11日に生きていた人は、これからずっとこの日にどこにいて何をしていたか、思い出すのだろうなと思います。
当時私は宮城県の隣県で、震災後に○○の奇跡と小中学生が世間から言われた町に住んでいました。
最近そう呼ばれた子達が、それを重荷に思っていることを知りました。

久保ちゃんが河北新報の記者の方と対談された記事も読みました。
私も、自分よりも大変な人がいるのにというある種の後ろめたさはよく分かります。
私は津波が来たときは、安全な高台にただいるだけだった。家は浸水だけで流されなかったので掃除して修理すれば住むことができた。家族や親戚で犠牲になった人はいなかった。仕事もあった。
自分は恵まれているなと思いました。目の前の人が自分よりも辛い体験をしているかもしれないのに、軽々しく大変だったよとは言えないなと思いました。

でも震災の時に何があったかを伝えることは、大切なことだと思います。
震災を知らない人もこれから出てきますし、自分が経験したことを語り継いでいくことは、あの日震災を経験した者の責務だと思っています。

久保ちゃんのような影響力にある人が話してくれることが、どれだけの力になるか分かりません。
ただ強い経験をすると、ある日突然思い出してしまうことがありますから、気をつけてください。

最後になりますが、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

それでは。

コメントする


(※入力必須ではありません)
(※入力必須ではありません)


※本名ではなく、ペンネーム等での投稿をおすすめいたします。

※一度投稿したコメントは削除できませんのでご了承ください。

「FAQ」によくあるご質問の回答を掲載させていただいておりますのでご確認ください。


PROFILE

久保 史緒里

2001年7月14日生
血液型:O型
星座:かに座
身長:161cm
>>プロフィールへ

202105

SUNMONTUEWEDTHUFRISAT
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

久保史緒里 ARCHIVES

MEMBER