あの日から5年という月日が経ちます
地震発生時は
中学校の帰りの会中。
目の前でいろいろな物が崩れ壊れて
みんなでグラウンドに避難して
私の頭の中は、家族のことばかりでした。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、妹、チップ
私が家族を心配するように
家族も私を、みんなを心配していたと思います。
中学生だった私
あの頃は心配してくれる方が
数えられるくらいいました。
19歳の私
心配してくれる方が
数えきれないほどいます。
中学生だった私
どんな時でも自分の意思を信じて
自分なりの言葉で相手に伝えられていました。
19歳の私
自分の気持ちや意思は間違っているかもしれないと自信がなくなり
気持ちを自分の中にしまっておくことが増えました。
中学校だった私
自分がいじめられてるのを心配されたくなくて、笑いたくもないのに無理に笑って過ごしてました。
19歳の私
私の笑顔が好きだ。と私が笑うと一緒に笑ってくれる方がいます。
中学生だった私
淡々と過ぎていく時間、風向き、雰囲気に
身を委ねて何も感じない毎日を過ごしてました
19歳の私
やりたいこともなりたいものをたくさんあり
毎日が楽しくて輝いています。
中学生だった私
周りの人に自分の気持ちを伝えてはいたけど
何も起こらなかった
19歳の私
自分の気持ちを伝えると聞いてくれる方もいて、私を支えてくださる方がたくさんいる。
頑張れば、どんなことでも起こすとができる。
5年前と今と比べると
私の置かれてる場所や
私を取り巻くいろいろなものが
全部違うように思えます。
その中でも変わらないものや
変わらない気持ちももちろんあります。
だけど、その多くのことが変わって
その中でも大きいことは
私は特定の誰かにじゃなくて
世界に向けて1人のアイドルとして
1人の人間として
発信することができます。
発信できるということは
伝えることができるということ。
自分の目で見て肌で触れて
誰かの噂を耳で聞くんじゃなくて
心で感じて思ったことを信じたいです
人はどんな手段でも意思疎通することができる生き物だから
お互いが寄り添えれば気持ちも温度も感じられます。
犬や猫、動物は
人間と会話をすることや言葉を通して
意思疎通することができません。
私はそんな動物に
歩み寄って寄り添いたいと思います。
あの日から5年。
たくさんの命が失われました。
その命の中には
人間はもちろん
動物もたくさんいます。
私たちはいま生きてるものとして
これから生きていく、これから生まれる命にたいして伝えなければなりません。
愛をもらってばかりじゃなくて
愛を与えられる人になりたい
これはこれから長い先
人生の中での1つの目標です。
震災により亡くなられた方々に
ご冥福をお祈りします。
北野日奈子
あの恐ろしい地震と津波と原発事故を引き起こした東日本大震災から五年が経ちました。
五年という時間は、中学生が大学生や社会人になるくらい長い時間だともいえますし、被災地の復興を成し遂げるには不十分なほど短い時間でもあるのでしょう。
当時中学生だった女の子が一歩ずつ成長して今の北野さんがあるように、東北を始めとした被災地の復興も少しずつでも確実に前に進んでいってほしいと願ってやみません。
ではまたコメントします。おやすみなさい。
さらばだ、また会おう!(気球に乗って去る~)